尾瀬・荷つり作業で地上作業員が負傷——「伝わらなかった注意喚起」の教訓(JTSB報告書)
何が起きたか #
運輸安全委員会(JTSB)が、アカギヘリコプターのBell 212(JA9617)による事故の報告書を公表した(令和8年6月5日議決)。
- 2025年9月2日 10時30分頃、福島県・尾瀬ヶ原(檜枝岐村)。尾瀬国立公園の木道整備工事の物資輸送のため、機外に約740kgのモッコを吊って荷下ろし作業をしていた
- その日18回目の荷下ろし中、対地高度約15mからつり荷を降下させていたとき、つり荷に視線を向けて後退しながら誘導していた地上の誘導員が、草に隠れた地面の穴(約30×40cm、深さ約70cm)に右足を取られて転倒
- 機長はバックミラーで誘導員につり荷が重なって見えたため降下を中止、機上誘導員の「アップ」とフック員の手信号で直ちに上昇したが、つり荷が誘導員に接触。誘導員は右第6肋骨骨折と外傷性気胸を負い、防災ヘリで搬送された
事故は空中ではなく地上で起きた。だが報告書を読むと、その原因は空のチーム全体の連携にあったことが分かる。
なぜ誘導員はつり荷の近くにいたのか #
誘導員(57歳、ヘリ物資輸送の経験は約1か月で、この工事が初めて)は、「ここへ卸せ」の手信号を出せば、機長が自分を目印にして荷を下ろすと考えていた。だから、できるだけ正確な位置に下ろそうと、つり荷に近い位置で、つり荷を見つめながら後退して誘導していた。
しかし実際には、乗組員は誘導員の位置を目印に荷を下ろすわけではない。さらに、会社の手引書には、誘導員の立ち位置・退避のしかた・「移動せずに誘導する」といった具体的な手順が示されておらず、安全教育でも説明されていなかった。つまり、誘導員が「つり荷に近づく」動きをしてしまう素地があった。
いちばんの教訓:「注意喚起が伝わらなかった」 #
実は、機長と機上誘導員は、危険に気づいていた。物資輸送の早い段階で「誘導員の立ち位置がつり荷に近く危険だ」と感じ、複数の手段で注意喚起していた。
- 現場監督へ無線で「つり荷は接地を確認してから近づくように」
- 応答が得られず、場外に戻った際に会社の営業担当を介して電話で現場監督へ
- それでも改善せず、機外スピーカーで地上作業員全員へ
ところが——どれも、意図したとおりには届かなかった。
- 現場監督は、その注意喚起が「誘導員に向けたもの」とは理解していなかった
- 伝言を受けた誘導員は、「フック員に向けた注意」だと誤解し、自分のことだと思っていなかった
- 機外スピーカーは、ヘリの音が大きく、地上作業員は使われていることに気づかなかった
「言った」「伝えた」はずなのに、“誰に向けた、何の注意なのか”が正しく共有されないまま、作業が継続された。これが事故につながった。
安全管理のすき間 #
報告書は、現場の体制の弱点も指摘している。
- 元請のA社は、手引書とは別に**「つり荷接地まで3〜5m離れる」等の安全資料**を作り、作業前の読み合わせや危険予知(KY)活動も行っていた。だが、誘導員が所属するB社の作業員には十分に浸透していなかった
- 乗組員(機長・機上誘導員)は、作業前の打合せやKY活動に参加していなかった
- 乗組員と地上が双方向に直接連絡できる手段は、現場監督が持つ無線機だけで、意思疎通の手段が不足していた
なお、誘導員が足を取られた穴は、湿原で高さ約30cmの草に覆われ、事前に発見するのは困難だったと推定されている。
JTSBの原因 #
足場の悪い環境で、つり荷に近い位置で後退しながら誘導したため、誘導員が地面の穴に気づけず転倒し、降下してきたつり荷が接触して負傷した。誘導員がつり荷に近い位置で誘導したのは、具体的な誘導手順・注意事項の教育が十分でなかったことに加え、機長の注意喚起が誘導員に正しく伝わらないまま輸送が継続されたためと推定される。
再発防止策 #
- 機長が作業前に、乗組員・地上作業員と直接打合せし、手順や注意事項を共有する。作業中も双方向に直接連絡できる手段を確保
- 機長は、危険を感じたら、注意喚起が対象者に正確に伝わり改善を確認するまで、作業を中断する
- 誘導員は、つり荷・荷下ろし地点から十分安全な間隔をとり、機長から見える位置で、移動せずに誘導する。「ここへ卸せ」の合図後は速やかに退避
- 会社は、安全教育で誘導員の役割・具体的な誘導手順・注意事項を周知する
- (事後措置)同社は補足資料・作業基準書を改訂(立ち位置・危険位置・退避・安全距離・不安全時の中断・連絡系統)、B社は目印を置き5m以上離れ、移動せず誘導することを周知
現役ヘリパイロットとして思うこと #
荷つり(外部吊り)作業は、空中のパイロットと地上のチームによる共同作業だ。今回、機体に異常はなく、操縦も危険を察知して即座に上昇している。それでも事故は起きた——原因が「個人の技量」ではなく「チームの連携」にあった典型例だ。
教訓は2つに集約できる。
- 誘導員の立ち位置:つり荷から離れ、見える位置で、移動しない。経験の浅い人ほど、明確な手順で守る
- 伝達:注意喚起は「誰に向けた、何の注意か」まで正しく届いて初めて意味がある。そして改善を確認するまで作業を止める
「危ないと感じたら止める」——これはSN-32の“速度を落とす勇気”やCRM、そして前回の海保AW139の事故とも、まったく同じ根を持つ。**「言ったつもり/伝わったつもり」**の怖さを、空でも地上でも忘れないようにしたい。
まとめ #
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 事故 | 尾瀬ヶ原の物資輸送(荷つり)で地上の誘導員が転倒、降下中のつり荷と接触し負傷(2025年9月) |
| 直接の引き金 | つり荷に近い位置で後退誘導中、草に隠れた穴に足を取られ転倒 |
| 背景① | 誘導員の立ち位置・退避など具体的な誘導手順の教育不足 |
| 背景② | 「つり荷に近づくな」の注意喚起が、誰宛か正しく伝わらないまま作業継続 |
| 体制 | 乗組員が作業前打合せ・KYに不参加。双方向連絡手段が不足 |
| 対策 | 事前打合せ・双方向連絡・危険時の中断・誘導員の固定位置・教育の徹底 |
事故は地上で起きたが、教訓は「空と地上のチーム連携」にある。伝わるまで伝え、危なければ止める。 それが荷つり作業の安全の土台だ。
本記事は、運輸安全委員会「航空事故調査報告書 AA2026-5-3(アカギヘリコプター株式会社 ベル式212型 JA9617)」(2026年6月5日議決)をもとに、要点を整理したものです。詳細・正確な内容は報告書原文をご確認ください。後半の見解は筆者(現役ヘリコプターパイロット)個人のものです。
ヒーロー画像:ヘリコプターのスリングロード(荷つり)作業の例。U.S. Army photo / Wikimedia Commons / Public Domain(本記事への掲載にあたりリサイズを行いました。写真はイメージで、本文の事故とは無関係です)
コメント
※ 名前を入力するだけでコメントできます(メールアドレスは任意)。 投稿いただいたコメントは管理者の承認後に表示されます。