聞くだけ聞いて扱わない——アサーション訓練を無効化するもの

聞くだけ聞いて扱わない——アサーション訓練を無効化するもの

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前回は、権威勾配は急峻すぎても平坦すぎても危険であること、そして CRM が到達した整理が「情報の収集は開放的に、決定は機長が単独で、理由は共有する」の三点セットであることを見ました。

今回は二つ目と三つ目を欠いた状態、つまり聞くだけ聞いて扱わないという運用について書きます。これは単に感じが悪いという話ではありません。訓練で積み上げたものを、一度で崩す力を持っています。

「聞かれなかった」より「聞かれて無視された」のほうが悪い #

組織心理学に、フラストレーション効果と呼ばれる知見があります。1970年代後半、Robert Folger らが一連の実験で確認したもので、内容はこうです。

意見を述べる機会(voice)を与えられると、人は決定への納得度を上げる。これは手続き的公正の研究で繰り返し確認されている、いわば常識的な結果です。ところが条件を一つ変えると、逆転します意見を述べる機会は与えられたが、その意見が結果に影響する見込みがない場合、被験者の不満は、そもそも意見を求められなかった群よりも大きくなりました。

理屈は素直です。意見を求められた時点で、人は「これは反映されるのだろう」という期待を持つ。その期待が裏切られる分だけ、最初から期待していなかった場合よりも損失が大きくなる。声をかけられたこと自体が、不満の原資になるわけです。

組織運営でこれが起きると、次のアンケートの回答率が落ちる、回答が当たり障りのないものになる、といった形で現れます。厄介なのは、それが半年後や一年後に出てくることです。

コックピットで同じことが起きるとどうなるか #

CRM は、下位者から上位者へ懸念を伝える技術を体系化してきました。段階的アサーションと呼ばれる考え方で、いきなり強く出るのではなく、探りを入れる(inquiry)→ 注意を喚起する → 明確に異議を唱える(advocacy)→ 操縦を引き継ぐ、と段階を上げていく。PACE(Probe / Alert / Challenge / Emergency)のような頭字語で教えている組織もあります。

関連して広く使われているのが2回チャレンジルールです。同じ懸念を二度伝えて相手の対応が得られなければ、次の行動に移ってよい、という取り決め。副操縦士に「二度言え、それでも駄目なら踏み込め」という許可をあらかじめ与えておくものです。

これらはすべて、暗黙の前提の上に成り立っています。チャレンジが受け止められるという前提です。

もし副操縦士が一度目の懸念を口にして、機長がそれを聞き流したとします。技術的には、副操縦士は二度目を言えばいい。しかし実際には、一度目を流された後に二度目を言うほうが、最初に言うよりも心理的に難しくなります。無視されたという事実が、「言っても無駄だ」という予測を作るからです。段階を上げていくはずの設計が、逆に段階を下げる方向に働く。

これが一度の飛行で終わるなら、まだ限定的です。しかし同じ機長と何度も飛べば、副操縦士は学習しますこの人には言わない、という運用が身につく。そしてそれは、その機長と飛ぶときに限って、コックピット内の情報が一人分減るということです。

訓練は「言え」と教え、現場は「無駄だ」と教える #

教官や査察の立場から見て厄介なのは、この二つが矛盾したまま両立してしまうことです。

訓練の場では、アサーションの重要性を教えます。事故事例を挙げ、あのとき副操縦士が明確に進言していれば、と説明する。受講者は理解し、テストにも通ります。

一方、日常の運航で懸念を口にした若手が軽く流される経験を数回積むと、訓練で得たものは急速に減衰します。しかも本人は「アサーションが重要でない」と考えたわけではない。重要だと理解したうえで、この環境では機能しないと判断しただけです。だから座学のアンケートでは相変わらず「よく理解できた」に丸がつく。

訓練の効果測定が、現場の実態を捉え損ねる構造がここにあります。

沈黙にはコストが計上されない #

もう一つの問題は、指標が存在しないことです。

言われなかった懸念は記録に残りません。ヒヤリハット報告にも上がらない。何も起きなかった飛行と、懸念が握りつぶされたが結果的に問題にならなかった飛行は、事後の記録上まったく同じ姿をしています。

つまり、コックピットの情報流通が劣化していく過程は、劣化している間は誰にも見えない。見えるようになるのは、それが事故や重大インシデントとして表面化したときだけです。

1979年の NASA のフルミッション・シミュレータ研究(Ruffell Smith)では、経験豊富なB-747乗員に高負荷のフライトを飛ばせて観察しました。その後 Foushee と Manos がこの実験の通信記録を分析(1981年)したところ、やりとりが活発なクルーほどエラーが少なく、とくに飛行状態に関する情報交換が多いクルーは、エンジン・油圧・燃料系統の操作や計器の読み取り・セットでのエラーが少なかったことが示されています。こうした研究がわざわざ必要だったのは、日常の運航記録からは見えないからです。

機長側に求められるスキル #

では、どうするか。CRM が機長側に求めるのは、意外に地味な動作です。

受け止めたことを言葉で返す。

ただそれだけです。

重要なのは、これが「同意する」という意味ではないことです。前回書いたとおり、決定するのは機長であって、合議ではありません。進言を採らない判断は、いくらでもあり得る。

必要なのは、採らないなら採らないと、理由とともに口に出すことです。

  • 「その計器の指示は自分も見た。こう解釈しているから、このまま続ける」
  • 「その懸念は分かった。ただ今はこちらを優先する。着陸後に詰めよう」

これで、進言した側は「聞かれた」という事実を確認できます。次に懸念を持ったとき、口に出すコストが上がりません。逆に、無言のまま操作を続けられると、聞こえていたのかどうかすら分からない無視と区別がつかないものは、無視として学習されます。

第1回に挙げた三点セットの三つ目、「決定の理由は共有する」は、丁寧さやマナーの問題として置かれているのではありません。次の飛行で情報が上がってくるかどうかを決める、運用上の要件です。

次回 #

ここまでは、時間があることを前提にしてきました。懸念を聞き、検討し、理由を返す。しかし現場には、それをやっている時間がない場面があります。

次回は、意思決定を時間軸で使い分ける話を書きます。DODAR や FORDEC といったモデルが、なぜどれも最初のほうに「時間の見積もり」を置いているのか。そして林野火災や山岳救助の判断で、それがどう効いてくるか。

第3回を公開しました時間がないときに合議はできない——意思決定を時間軸で使い分ける

まとめ #

  • フラストレーション効果(Folger ら、1970年代後半):意見を述べる機会を与えられたのに結果に影響しない場合、不満はそもそも聞かれなかった場合より大きくなる声をかけたこと自体が不満の原資になる。
  • CRM の段階的アサーション(inquiry→advocacy、PACE)も2回チャレンジルールも、「チャレンジが受け止められる」という前提の上に成り立っている。
  • 一度目を流されると、二度目のハードルは最初より上がる。段階を上げる設計が、逆に段階を下げる方向に働く。繰り返せば「この人には言わない」が学習され、情報が一人分減る
  • 訓練は「言え」と教え、現場は「無駄だ」と教える。本人は重要性を理解したまま「この環境では機能しない」と判断するので、座学の効果測定には現れない
  • 沈黙にはコストが計上されない。言われなかった懸念は記録に残らず、劣化は表面化するまで見えない。Ruffell Smith(1979)の通信分析(Foushee & Manos, 1981)では、やりとりが活発なクルーほどエラーが少ない
  • 機長側の要件は受け止めたことを言葉で返すこと。同意ではなく、採らないなら理由とともに口に出す無視と区別がつかないものは、無視として学習される

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本稿は事故調査報告書および CRM・組織心理学研究の一般的な整理に基づいています。


出典

  • Folger, R. (1977). “Distributive and procedural justice: Combined impact of voice and improvement on experienced inequity.” Journal of Personality and Social Psychology(フラストレーション効果。Folger, Rosenfield, Grove, & Corkran (1979) 等が追試)
  • Ruffell Smith, H. P. (1979). A Simulator Study of the Interaction of Pilot Workload with Errors, Vigilance, and Decisions(NASA TM-78482) https://ntrs.nasa.gov/api/citations/19790006598/downloads/19790006598.pdf
  • Foushee, H. C., & Manos, K. L. (1981). “Information transfer within the cockpit: Problems in intracrew communication”(Ruffell Smith実験の通信記録分析)
  • Helmreich, R. L., Merritt, A. C., & Wilhelm, J. A. “The Evolution of Crew Resource Management Training in Commercial Aviation” https://www.faa.gov/sites/faa.gov/files/2022-11/crmhistory.pdf

画像出典:Wikimedia Commons “Maj. Nicholas Smith, 40th Helicopter Squadron pilot and Maj. Bernard O’ Raw, Irish Air Corps 3rd Operations Wing pilot, prepare a UH-1N Huey helicopter for flight”(U.S. Air Force photo/Public domain)。イメージ画像(飛行前の2名の操縦士)。

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